ハンセン菌(学名:らい菌、Mycobacterium Leprae

 

G3(グループ3)

看護学科1年次 甲斐田、木原、工藤、久保、香田、後藤

 

ハンセン菌の性質、症状について正しい理解をする。

 



はじめに

※呼称について

ハンセン病は、古くから「らい病」「Leprae(レプロシー、レプラ)」と呼ばれてきた。その意味は、「原因不明の皮膚病の総称」である。
語源はラテン語の「Lepra」。 しかし、現在では原因も解明され、治療法も確立し、もはや原因不明の病気ではなくなった。そのため、第二次世界大戦以後、他の疾患と同様に、菌の発見者の名前にちなんで「ハンセン氏病」、そしてこれをつづめて「ハンセン病」と通称されるようになった。だが、学名や法律名では「らい」のままである。

この研究発表では呼称を「ハンセン菌」「ハンセン病」とする。

 

※ハンセン病への理解

かつてのハンセン病は、病原性も遺伝性も分からない原因不明の病気だった。また人によって症状もまちまちで、治療法がなく、容姿にひどい障害を被り、そして他の病気の複合感染により生命を失うこともあった(ハンセン病自体では死に至らない)。こうした不安のために多くの偏見や誤解を生じてきた。

戦前までのハンセン病は、大きな問題であった。しかし、現代では解明が進み、治療法も確立しているため、感染者の出現は極めてまれである。身近に感染者がいないため、ハンセン病については、ほとんど関心もなく、話題にもならないのが現状である。私たちが直接、この病気について知りえることは殆どないであろう。

そのためであると考えるが、この病気については、現在の状況についての情報はなにも聞くことがないまま、過去の偏見や誤解ばかりが情報として流れているのではないだろうか。例えば、映画では「十戒」の死の谷や、最近では宮崎駿の「もののけ姫」にも、ハンセン病者をイメージさせる人々が出てくる。

私達は、ハンセン病の実態を知らずに、偏った、断片的な情報だけで、この病気を知ったつもりになり、そのかたちを作ってしまってはいないだろうか。これは、かつてのエイズのように、他の未解明の疾患についても同様であろう。


今回のグループ研究では、自然科学としてのハンセン病の実態を知ること、S.B.O.として、「ハンセン菌の性質、症状について正しい理解をする」ことを第一の目標とした。現在分かりうる正確な情報できるだけ集めることで、この病原菌と症状等について正しい理解をする。

その上で、既存のハンセン病への主観を再確認し、社会科学としてのハンセン病の歴史や政策を、客観的に考察していくべきだと思う。

 

学名 Mycobacterium Leprae (マイコバクテリウム レプラ)

   日本語では「らい」 

分類 マイコバクテリウム属(抗酸菌) ※1   グラム陽性※2 

形態  長さ1.5~8μm※3 幅0.3~0.5μm 桿菌※4

   増殖のための至適温度は、2730と非常に低い

   (人体を含む殆どの生体では繁殖困難)

   細胞内で集塊を形成する

   分裂時間は非常に長い(11〜13時間、症状が緩やかに進行する)

   感染力は極めて弱く、また増殖に時間がかかるため、

   長い潜伏期間の後に発病し、きわめて慢性の経過をたどる。

起源 結核菌は牛型結核菌の突然変異に由来したように、ハンセン菌も

   牛型結核菌に由来するという。そのためハンセン菌は、結核菌と

   生態学的に非常に似ている。感染力は結核菌に比べ非常に弱い。

検出法 鼻水、病巣から抗酸性染色による菌の検出をおこなう。

   レプロミン反応(光田方式)※5酵素抗体法※6ゼラチン粒子凝集反応※7

培養  成功例なし。そのため、生物学的性状には不明の点が多い

   (しかし、他のほとんどの細菌は人工培養可能である。)

 

→人体接種では、大量の菌を注入した場合でなければ、ほとんど成功し ない。動物実験ではかろうじて、低温性動物の「アルマジロ」、マウスの「足底内接種」、先天的に胸腺のない「ヌードマウス」など、低温、非免疫の環境においてのみ成功例が挙げられるが、それでも十分な結果とはいえない。

 

参考資料

細菌の分類(感染症の管理)

http://www.kpu-m.ac.jp/ICUman/infection/bunrui.html

アルマジロについてのホームページ

http://village.infoweb.ne.jp/~fwin8514/index.htm

 

 

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感染の対象 人以外にはかからない。(アルマジロのような、非常に細菌に弱い動物には自然感染例がある。)

感染経路  直接、しかも濃厚な接触をすることによって、皮膚創傷部や鼻の粘膜、口腔粘膜、上気道粘膜の一部といった耳鼻咽喉部から感染する、と推定されている。学問的に正確なことは不明である。

日常の感染の機会
    ハンセン菌の伝染は、社会経済因子によるところが大きいといわれている。不衛生、飢餓、人口過密、戦争などの環境で多く発生してきた。現代以降の経済先進国では、ハンセン病の発生はほとんどない。

また、菌の感染力はきわめて弱く、生後間もない赤ん坊や、生まれつき免疫を持たない人が、衛生環境や栄養状態の悪いときに感染する程度である。

発病には、個人レベルでは前述の免疫系の異常、集団レベルでは社会経済因子(飢餓、不衛生、戦争など)と深い関わりがある。疫学的に、社会経済状態の向上に伴い減少する。

社会経済状態の発展したヨーロッパや日本などの先進諸国においては、ハンセン病は既に終焉しているか又は終焉に向かっており、現在では世界のハンセン病者の多くは、社会経済状態の発展途中にある南アジア地域を中心とする開発途上国に分布している。

衛生的な環境のもと(今日の日本社会のように)では、健康な成人、免疫を有する成人にはほとんど感染しない。

 

予防対策

現代社会では、特に予防の必要性はない

1.衛生的な環境、健康な身体では、伝染力のほとんどない菌である。飢餓、不衛生といった社会環境でなければ、感染のおそれはまったくない。現代社会では、もはや感染力を喪失しているといえる。

2.明確な感染経路はいまだ不明である。が、上記1のとおり、感染のおそれのない環境では、対策は不要である。

3.発病の場合は、早期発見、早期治療、適切な化学療法により、伝染性は短期間で喪失する(2.3日)。伝染力も弱いため、入院・隔離の必要はなく、外来通院で十分である。

 

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 ハンセン菌の毒力はきわめて弱く、ほとんどの人に対して病原性を持たないため、人の体内に菌が侵入し、感染が成立しても、発病することは極めて稀である。しかし、この菌に対して稀に異常な免疫反応を示す人があり、ハンセン病として発病する。

University of Iowa College of Medicineのホームページより)

ハンセン菌は、菌の中で唯一、末梢神経に親和性がある。神経のなかで、もっとも強固な防壁になっている神経周膜の基底膜を、特異的に破壊する。至適温度が27~30度と低いため、体温の低い部位、すなわち顔面、手足に好発する。

こうして末梢神経が冒されることにより、皮膚感覚障害(おもに知覚麻痺)、末梢神経肥厚、運動神経、自律神経障害、免疫力低下のため、他の細菌による複合感染をも誘引し、ひどい化膿をおこすことがある。さらに二次的な身体障害として、けがややけど、脊髄炎、鼻や手足の変形がおこる。

(耳の変形 、背中の斑紋 WHOのホームページより)

 

※皮膚症状によって以下のように四区分される。

  1. らい腫型L型)
  2. 多様な皮疹が特徴的。そのほか眉毛脱落、頭髪脱毛、鞍鼻欠損、耳介の耳垂腫がみられる。

  3. 類結核型T型)
  4. 紅斑、暗褐色隆起斑、板状斑などである境界不明。

  5. 未定型群I型)

    非隆起性斑紋、知覚障害を伴う。

  6. 界型B型)

    T型に近いものからL型とほとんど同じ物まで。

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    1943(昭和18年)アメリカで「プロミン」発見。日本には戦後の昭和22年にようやく使用され始める。これを精製した「DDS」が昭和2030年にかけて使用、昭和40年代後半には「リファンピシン」が強い殺菌効果を有した。その後「クロファジミン」が加わり、WHOによる多剤併用療法となる。

現在では、「リファンピシン」DDS」「B665の三つの薬を併用する「多剤併用療法」で、化学治療を行う。菌は2,3日で伝染力を失い、急速に治癒に向かう。

今では、早期発見と早期治療により、障害を残すことなく、外来治療によって完治する。発見が遅れ、障害を残した場合でも、手術を含む現在のリハビリテーション医学の進歩により、その障害は最小限に抑えることができる。入院や隔離等の処理は必要がなく、意味をなさない。

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※世界での歴史

 ハンセン病の歴史は古い。発生は、極東(ロシア東部)といわれる。その存在を示す文献が、紀元前600年頃のインド文学にある。古代では、大多数の梅毒と皮膚疾患が、ハンセン病として分類され(そのすべてを統括した呼称が「レプラ(原因不明の皮膚炎)」である)、診断は不確実だったといわれている。「ハンセン病」としてそれを支持する陽性所見はほとんどないからである。これらの疾患(レプラ)は、エジプト記の時代には難問題であったと思われ、診断と隔離についてモーゼの法律(旧約聖書)に記載がある。

 20世紀初頭、ロシアからハンセン病患者を含めた移民が大量にドイツのメーメル地方に入ったため、ハンセン病が大きな問題となり、急遽国際会議が開かれることとなった。それが第一回ベルリン会議(国際らい学会議)(1873年、明治30年)である。

この会議で、菌の発見者であるハンセン氏は、既存の概念(「不治の病」「遺伝病」「業病」「天刑病」)を否定し、菌による病原性を発表、呼称の改正を提唱した(レプラ、らい→ハンセン)。

また、ハンセン氏により「患者隔離」の必要性も説かれた。しかし、それは伝染病であるためで、療養所収容は本人の自由意志に任せて、それを拒否する場合は自宅での寝室を別にするとかの配慮が必要だ、とも述べている。また、ハンセン病は、公衆衛生上の問題であるとして、アメリカのような清潔なところでは隔離の必要はないとした。

この会議より、世界は開放政策へと向かい始める。

しかしそれとは逆に、この会議が日本のハンセン病政策にどう影響したのか、以後日本では患者隔離政策推進の発端となってしてしまうことになった。

第二次世界大戦後、ハンセン病患者を地域社会から遮断して施設内に隔離することは、差別を助長するという人権上の視点から世界的に批判されるようになる。「地域における総合的医療政策の一環としてほかの一般感染症といっしょに普通に実施せられるべき」というのが現在の既定のながれである。

現在では、発展途上国のような、社会経済、公衆衛生のよくない地域で発生する程度である。世界規模で見れば、絶滅に近い状態で、もはや重要視される病気では無い。


※日本での歴史

ハンセン病は、おそらく地球上には二、三千年前から存在していたと思われる。日本で始めて書物の中に「らい病」という名前ではっきり記載が出たのは『日本書紀』だった。この病気は原因が不明で、効果のある薬や治療薬が見つからず、伝染性の不治の病手とされていた。また、顔面や手足にひどい腫瘍ができてみにくい形相となり、異臭を放つことから、人々から忌み嫌われ、近所の人はもちろん、親兄弟までが偏見と差別のまなざしで病者を見た。そして天の報い、天刑病として、同じ家にいた家族もまた、周囲からの差別を受けた。

幕藩体制が終わり、明治時代に入った頃、時代の流れは、ハンセン病者をも呑み込んでいった。それでなくても、家族からも故郷からも見放され、各地を転々としていた存在であったにもかかわらず、国家、社会全体からも排除されなければいけない存在とみなされるようになっていった。この病気は伝染性があるといわれながら、実際のところは感染力が弱いため、容易に人に染ることはなく、むしろそのことによって、人々から特別視され、差別の対象となった。そして近代国家の形成とともに「卑しく、遠ざけるべき存在」から「隔離すべき存在」となっていった。

その後、「らい予防法」の制定により、全国に公立の療養所が建てられたが、いずれも予算は乏しく、病室の設備も整っていなかった。それまでは、放浪の身でありながらも自由な行動ができた「放浪らい」にとって、療養所は、自由を剥奪され、治療も満足に受けられない「収容所」でしかなく、当然、患者からは不満の声が上がり、また療養所の生活環境も乱れるようになっていった。

1945(昭和20)8月、第二次世界大戦は終わったが、療養所の生活は変わらなかった。むしろ、食糧配給は少なくなり、欠配遅配も相次いだ。

しかし、少しずつではあるが、国家や社会のハンセン病に対する考え方も変化し始めていくのである。

 

 

ハンセン病の現状

明治時代には3万人から10万人ともいわれた患者数は、第二次世界大戦後の正確な統計では1955年の12169をピークに減り始め、1983年には8000人台、1994年6000人台、1996年5700人。その殆どは、かつて療養所に収容された平均年齢70歳の高齢者、多くは老人性疾患により介護、療養状態である。新発見患者数は1年間に10人前後、ほとんど60歳以上90年後半の菌陽性者は291人

WHOは、人口1万人に対し1人になれば、その地域は根絶したとみなしており、その基準を適用すれば、日本では公衆衛生上はすでに終息した、といえる。

 

人口一万人当たりの患者
Prevalence rate per10000

(R)は5〜10人 緑(G)は3〜5人 青(B)は1〜3
黄色
(Y)は0.1〜1人 白(W)はゼロ

IDEAのホームページより)

 

年表 「ハンセン病に関する年表」より

1900 1900明治33 33  12     第1回らい全国一斉調査。
1907 1907明治40 40  03/18内務省が内務省令第20号「道府県癩療養所設置区域」を公布。
           
 07/20 07/20内務省令第19号「癩予防に関する法律施行規則」が公布。
1928 1928昭和3  09/24 09/24第1回日本らい学会が東京帝国大学にて開催。
1930 1930昭和5  11/20 11/20日本最初の国立療養所、長島愛生園が発足。
1931 1931昭和6  06/25 06/25らい予防デー(第1回目)
1941 1941昭和16 16  07/01全国5ヶ所の公立療養所が国立療養所へ移管。
1946 1946昭和21 21  06/24入所患者の選挙権が初めて行使される。
1947 1947昭和22 22  04/01生活保護法の適用により、患者に生活扶助が支給されることが決定。(06/01より支給)
            
08/23 08/23栗生楽泉園内にて第2回患者大会開催。
                     特別病室における
人権無視や、未感染児童に対する虐待が追及される。
1948 1948昭和23 23  10/0821回日本らい学会にて国産プロミンの効果が報告される。
1950 1950昭和25 25  10/05多摩全生園内にて全国国立らい療養所患者協議会
                     (全患協)規約草案が決定される。
1951 1951昭和26 26  01/11全患協が発足。
               
01/29  01/29らい家族一家心中事件発生。
             
  10/01  10/01全患協内にらい予防法改正促進委員会が発足。
1952 1952昭和27 27  06/16厚生省医務局通達により、療養患者の「一時帰宅」が認められる。
               
08/19 08/19マヌス島戦犯者の1人がハンセン病のため乗船を断られていることに関して、
                        全患協が引揚促進を引揚局に訴え。
1953 1953昭和28 28  10     全患協、全国ハンゼン氏病患者協議会へ名称変更。
1955 1955昭和30 30  07/   国立らい研究所設立。(昭和36年6月に国立多摩研究所と改称)及び、
                        菊池恵楓園内に国立らい研究所分室が併設。
1958 1958昭和33 33  11/12第7回世界ハンセン病学会議が東京で開かれる
1960 1960昭和35 35  01/08女性患者に対する殺人、死体遺棄事件が多摩全生園内で発生。
1962 1962昭和37 37  12/10全患協「らい予防法研究会」を発足。琉球政府、
                    ハンセン病患者家族に対し生活保護法を適用。
1969 1969昭和44 44  02/18ハンセン病をテーマに銀座で写真展
1972 1972昭和47 47  05/15ハンセン氏病予防法(琉球政府)廃止。
1973 1973昭和48 48  01/08第1回読売医療功労賞をハンセン病関係者4名が受賞。
1981 1981昭和56 56  11/11秋田県秋田市内でシラクモをハンセン病と思いこんだ母親が一家心中する事件が発生。
                    母親は一命をとりとめたが子ども2人は死亡した。
1992 1992平成4  04/09  04/09全患協内に『国に「らい予防法」の早期改正を促す特別委員会』が発足。
1996 1996平成8  03/27  03/27らい予防法廃止に関する法律が成立(04/01施行)
1998 1998
平成10 10  06/20ハンセン病回復者の国際交流会議が東京で開催。7ヶ条からなる東京宣言を採択。

参照「ハンセン病に関する年表」

http://homepage2.nifty.com/etoile/hansen/chronology.html


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参考資料

ハンセン病についてのホームページ、書籍

 

国立療養所長島愛生園副園長の声明

http://www.hosp.go.jp/~aiseien/hansen.htm

知って!ハンセン病国倍訴訟

http://www.hansenkokubai.com/slide/index.html

ハンセン病とその歴史、隔離政策等について研究。 http://homepage2.nifty.com/etoile/hansen/frame.html

ハンセン病のない世界を

http://www02.so-net.ne.jp/~yae/

リデル・ライトホームページ

http://www.uproad.ne.jp/rw/hansen.html

インドにおけるハンセン氏病の調査(発展途上国医療研究より)

http://www.med.nagoya-u.ac.jp/idoubutsu/olive/india/1994/india1.html

タイ東北地方ハンセン病への医療協力

http://www.amda.or.jp/contents/journal/journal2/38-39-40.html

AMDA熱帯医学データベース

http://www.amda.or.jp/contents/database/4-1/_index.html

WHOのホームページ(英文)

http://www.who.int/health-topics/leprosy.htm

「異端学園」のホームページより

http://herz.pobox.ne.jp/kamui/index.htm

細菌についてのホームページ(英文

http://www.mic.ki.se/Diseases/c1.html

ハンセン病の外略(英文)

http://www.neuro.wustl.edu/neuromuscular/nother/infect.htm#leprosy

WHO Library Catalog

http://chef.who.int:9654/?WHOhq+WHOhqHTML

 

 

・『感染症』 池本秀雄、螺良英郎 朝倉書店

・『らい予防法の歴史』 大谷藤郎 勁草書店

・『シンプル微生物学』 匡伸 小熊恵二 南江堂

・『酸素抗体法』 渡辺慶一 学際企画

・『感染症学』 下山 診断と治療社

・『感染症』 富田勝郎 メジカルビュー社

・『感染症』 那須 医歯薬出版

・『感染症 病気の起源と歴史』Richard N T-W-Fiennes

・『系統看護学講座 薬理学』医学書院

・『系統看護学講座 微生物学』医学書院

 

 

 

(以下、脚注)
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※1 グラム陽性の好気性、非運動性の多形態杆菌。脂質に富んだ強固な細胞壁を持つた め、この種の菌は、普通の染色法では染色されにくく、加温染色または長時間の染色 を必要とする。しかしいったん染色されると、酸やアルコールで脱色されにくい。こ の性質からは「抗酸菌」と名づけられた。この性質を利用して、抗酸菌と非抗酸菌を 染め分けることができる。

※2 すべての細菌は「グラム染色」によって、赤紫色に染まる「グラム陽性菌」と赤色 に染まる「グラム陰性菌」とに2大別される。かびはグラム陽性、高等生物の細胞は グラム陰性である。

※3 マイクロメートル。細菌は顕微鏡で見られる微少な単細胞生物で、大きさは0.5 μmから30μmぐらいまであるが、大部分は1μmから4〜5μmのあいだにあ る。

※4 かんきん。棒のように細長い形。長径が短径より長い。菌端は半円形や直角。菌は 「球状」「杆状」「らせん状」の3つの形に大別することができる。

※5 らい結菌を食塩水中で煮沸し、原重量の20倍に食塩水で希釈し濾過したもので抗 原を作ることができる。病型の分類が可能なため、予後を推定できる。

※6 酵素で標識した抗体(目印をつけること)を結合させたあと、用いた酵素の基質を 加えて反応させ、分解物の発色によって判定する。光学顕微鏡で観察できて、保存で きる標本が得られる利点がある。同様の標識抗体法には、蛍光、放射性同位元素、重 金属、フェリチンなどを使ったものがある。

※7 粒子性の抗原と抗体とを反応させることで、抗原は結合した抗体を介して凝集し、 肉眼で認められる凝集塊をつくる。

※8 アメリカで昭和18年に発見。しかし第二次世界大戦のため、日本に導入されたの は4年後の昭和22年。これ以前は「大風子油」のみで、その効果は不安定であっ た。

※9 Rifampicin(RFP) 半合成の抗生物質で、結核菌に対しイソニアジドに匹敵する抗 菌性を有するほか、グラム陽性菌(ハンセン菌)・大腸菌にたいしても抗菌力を示 す。なお、肝臓の薬物代謝酵素の活性を高める。肝障害を起こしやすい。

※10 感染症の病原体を化学物質の働きで殺し(殺菌)、またはその発育を阻止するとと もに、宿主のもつ防御力(免疫力)と協力し合って感染症から生態を治癒されること を「科学療法」という。