<エボラ出血熱の歴史>

エボラ出血熱には、長年にわたる疫学などの調査研究はなく、疾患の実態については不明な点が多い。1976年6月末から11月にかけて不明出血熱が発生し、284例に達した。発生源はスーダンのヌザラで綿工場の倉庫番の男性が発熱し、頭痛、胸部痛を訴え、入院3日後出血傾向が進行し、1週間後に死亡した。以後マリディ、テンブラ、シュバなどに飛火し、いずれも接触感染で15代にわたり患者が発生し、151名(53%)が死亡した。次いでスーダンの第1例目から2ヶ月後、コンゴのブンバ地区(マリディの西南825km)のヤンブクを中心にエボラ出血熱が発生し、10月末までに318例に達した。最終的に88%の280名が死亡した。Ebolaの名はザイール第1例目の患者の故郷の川の名前に由来する。ザイールの感染の悲劇の特徴は、病院での医療行為を通して感染が拡大したことである。1本の注射器で採血、注射を多数の患者に繰り返し、感染が拡大したもので、スーダンのパターンとは異なる。その後コンゴ(1名死亡)スーダン(1979年、22/34死亡)で発生が見られる。野生動物の調査もなされたが自然界の宿主は不明である。

最近では1995年4月から6月にかけて、再びコンゴ民主共和国のキクウイトで病院を中心に患者が発生し293名中233名が死亡している。1996年2月にもガボンで死亡したチンパンジーを食べた子供たち15名が死亡している。

 

参考文献:新熱帯感染症学/南山堂

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