<コレラの歴史>
コレラはもともとガンジス河デルタ地帯の風土病であった。それが1817年以降西欧との通商が盛んになるに伴って、世界各地へ拡大し、1923年までに
6回にわたる世界流行を起こしたが、その後この古典型コレラは世界的流行をみていない。ところが、これとは異なるインドネシアに土着していたコレラが、1961年頃から近隣の東南アジア、インド亜大陸、中近東、アフリカ、近年さらに南米へと波及した。これがコレラの第7次世界的流行、エルトールコレラで、いまだ猛威を振るっている。(我が国におけるコレラの発生状況)
我が国におけるコレラの発生はかつてはコレラ流行地からの帰国者にほとんど限られていたが、近年海外渡航暦のない人々の事例が目立つようになった。これまでの国内流行事例としては、1977年フィリピンからの帰国者がその発端となった和歌山県有田市のコレラ流行、翌1978年東京池之端の結婚式場でのインドネシア産ロブスターを原因食とするコレラ集団事例を経験している。また、1989年には名古屋市を中心とした集団発生があり、患者は7都府県と広域にまたがった。更に1991年には首都圏コレラ事例が発生した。
特記される輸入事例としては、1995年に派生したバリ島帰国者コレラ事例がある。バリ島への観光ツアー帰国者にコレラ患者が爆発的にはっせいし、患者数は296名にもたっし、患者発生は37都道府県にも及んだ。
1996年のコレラ発生事例は62名で、輸入例49名(79%)、海外渡航暦のない国内発生13名(21%)であり、前年(377名)と比べ、激減した。これはバリ帰国者コレラの発生が極端に減少したことによるものである。
1997年のコレラ発生事例は101名である。このうち海外渡航暦のない人にみられたコレラの発生は36名、17都府県にも及び、この年の全発生事例の36%も占め、特に8月に最大のピークが観察された。次いで7月が多く、腸炎ビブリオ食中毒の発生状況と同様な様相を呈した。一方、輸入例を見ると4月が突出している。これはタイへの観光ツアー2組に集団発生がみられたことに起因する。