志賀潔について
↑志賀潔
しがきよし (1870−1957)明治から昭和期の細菌学者。仙台藩の士族の子として生まれ、母の生家志賀家を継ぐ。
1896年(明治29年)帝国大学医学部(現在の東京大学医学部)卒業とともに北里柴三郎が所長をつとめる伝染病研究所にはいり、細菌学と、免疫学の研究に従事。このころ赤痢の病原の研究を始め、1897年、 「細菌学雑誌」に赤痢菌を発見したと発表。翌年にはドイツの雑誌にも発表して志賀の功績は世界に伝えられた。なお、赤痢菌の学名は志賀の名前にちなんでShigella(シゲラ)と命名されている。1901
年からのドイツ留学中に、睡眠病(アフリカトリパノソーマ症)の病原虫に対するベンチジン系赤色色素の効果を発見してエールリヒと共同論文を発表した。これが化学療法剤の始まりである。1905年に帰国した後には、伝染病研究所やその後創立された北里研究所で赤痢やチフスの予防法や治療法、ハンセン病・結核などの研究をした。朝鮮総督府院長、京城帝国大学総長などを歴任し、1944年(昭和19年)に文化勲章を受賞。
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↑エスパー伊東?